OCA TOKYO BLOOMING TALKS 009

過去から学ぶ、未来志向

Released on 2021.08.16

OCA TOKYO BLOOMING TALKS

BLOOMING TALKS

自然体でテーマと向き合い、出会いに感謝し、相手を思いやりながら、
会話が咲く。笑顔が咲く。発見が花開く。

そんなコンセプトでお届けするOCA TOKYO限定のWEBメディア。
「BLOOMING TALKS」

新鮮な出会いと、魅力ある人たちの言葉を通じて、人生を謳歌するヒントを発信していきます。

新しいこの場所で、きょうも、はなしを咲かせましょう。

明治から昭和にかけて日本経済の礎を築き、「日本近代化の父」と呼ばれた渋沢栄一。100年以上の時を超えた今、新紙幣の顔に選ばれるなど、大きな注目が集まっています。令和という時代に、なぜこれだけの輝きを放つのか。今回は、渋沢栄一の玄孫であり国連開発計画(UNDP)のSDG Impact Steering Groupのメンバーとして自らも世界経済の発展に貢献するOCA TOKYOメンバーの渋澤健さんにインタビュー。DNAのごとく紡がれる言葉には、時代を生き抜くためのヒントが詰まっていました。

意思の固さとフレキシビリティ。

── 渋沢栄一との関係について教えてください。 栄一は1840年生まれ。私は1961年生まれ。もちろん生前の姿を知ることはなく、幼い頃は伝記のような書籍を通して、おぼろげにその存在を知っていた程度です。小学校2年生からは父の仕事の都合で渡米していましたし、大学卒業後、日本に帰国してからも米国系の金融機関やヘッジファンドに勤めていましたので、正直なところ縁遠い存在でした。

── 何がきっかけで、渋沢栄一への興味を深めていったのですか? 20年ほど前に渋沢家の親戚が集まる場で、叔父から「お前は渋沢家の家訓に反している」と叱られたのです。いったい何に反しているのか気になったので文献を紐解いたところ、栄一が残した家訓の中に「投機ノ業又ハ道徳上賤ムヘキ務ニ従事スヘカラス」という一文が見つかりました。道徳に反する仕事に就いたつもりはありませんでしたが、確かに「安く買って高く売る」というのは「投機ノ業」に当たる。40歳になって自分は渋沢家の家訓に違反していたという不都合な事実と直面しました。でも、他に都合がよい言葉もあるかもしれない(笑)。そんな思いで栄一に関する資料を調べるようになり、興味を深めていきました。

── 実際に調べてみて、渋沢栄一という人物をどう思いましたか? ひと言で言えば、思い込みが激しい人。とにかく栄一は、日本を豊かで公平な社会にしたいという思いに溢れていました。そのために「こうした方がいい」、「こうすべきだ」という未来志向を常に持っていたのですが、若い頃は行動が過激で、高崎城を乗っ取るといった過激な計画も立てています。ただ、経験を積むにつれて手段が変わり、結局は500社以上の企業の設立に関わる元祖ベンチャーキャピタリストになりました。目的達成に関しては頑固ですが、手段を変えた。その点では、意志の固さと絶妙な柔軟さを持ち合わせていたと思います。

── 渋沢栄一の思想を学ぶため『論語と算盤』を題材にした経営塾も主宰されていますね。 100年以上前の書籍のため表現こそ古いですが、今の文脈に照らし合わせて解釈すれば、生きてくる言葉がたくさんあります。『論語と算盤』経営塾は今年で13期目を迎え、企業の経営陣・管理職から学生、一般の方など幅広い層に参加いただいています。女性の参加も顕著で、今では男女比が半々になりました。栄一は子孫に家やお金は残しませんでしたが、“言葉”というたくさんの財産を残してくれたと実感しています。

メイド・ウィズ・ジャパン。

── 令和という時代に、渋沢栄一に注目が集まっているのはなぜでしょう? 一つには、渋沢栄一が常々考えていた「国を豊かにしたい」、「社会をより良くしたい」という“未来志向”があります。今も尚そこに学ぶべきことがあると多くの方が考えているのだと思います。もう一つは“時代性”です。1990年のバブル期をピークに日本社会はデフレに陥り迷走を続けています。世界的にも右肩上がりの資本主義に懐疑的な目が向けられSDGsが唱えられるようになりました。同じようなことが、渋沢栄一が『論語と算盤』を提唱し始めた明治末期にも当てはまります。日本は明治、大正と近代化を追い求めた結果、物質的には豊かになった一方で、目標を見失う人が増え、社会は閉塞感に包まれていきました。そうした背景が似ていることから、渋沢栄一に注目が集まっているのかもしれません。

── 新紙幣の顔に選ばれ、NHK大河ドラマにも取り上げられています。 最初に聞いたときはフェイクニュースだと思いました。ただ、新紙幣は千円札の北里柴三郎先生は、日本近代医学の父。五千円札の津田梅子先生は、女性教育の先駆者。そこに渋沢栄一という経済人が加わると、「ライフサイエンス」、「女性の活躍」、「事業の発展」というSDGsに必要な要素と重なる発見がありました。新時代の始まりに「サスティナブルな社会を築こう」そんなメッセージを感じて嬉しくなりました。巷ではSDGsを「大衆のアヘンだ」と揶揄する声も聞こえてきますが、アヘンは薬物ではあるけれど、使い方によっては医薬品でもあります。結局は使い方が重要であり、人類共通の課題を乗り越える手段としてSDGsがあると捉えるべきです。

── 渋澤さんの考える「未来志向」についても教えてください。 人口動態がピラミッド社会だった昭和の成功体験は「メイド・イン・ジャパン」による経済成長、平成は「メイド・バイ・ジャパン」として、他国で雇用を創出するものづくりを進めてきました。そんな平成の30年を経て、悲しいことに日本は世界から素通りされるような存在になってしまいました。令和になった今、私が期待している令和の成功体験とは「メイド・ウィズ・ジャパン」です。平成から人口動態がひょうたん型社会に変化し、今後人口が減少したとしても、日本が世界の国々から求められる存在になることができれば、豊かな社会をつくれると思います。そのためにも、これから30年の日本社会の主役となるZ世代やミレニアル世代に大きな期待を寄せています。

新たな環境というスイッチ。

── これからの時代に「応化」したり、人生を「謳歌」したりするためには何が必要だと感じますか? 既存の枠を飛び出して、あえて新しい環境に身を置くことではないでしょうか。一つの組織・グループに属していると、世の中の変化を実感しにくいものです。一歩踏み出して様々な人に会ったり、価値観に触れたりすれば、新しい気づきや発見があります。生物が遺伝子を働かせて危機的状況から生き延びるように、今こそ自らのスイッチをオンにして既存の枠から飛び出て自分を進化させることが必要だと思います。「宿命」は宿る命なので前提を変えることはできない。ですが、「運命」は命を運ぶと書くように、自分からアクションを起こすことで人生を切り拓くことができるのです。

── ご自身のスイッチがオンになったタイミングはいつでしょうか? 9.11のアメリカ同時多発テロのときですね。当時は長男が生まれたばかりで、妻のお腹には次男が宿っていました。それまでは仕事も電話一本で多額のお金を動かし、利益をあげることに日々必死で、未来についてはぼんやりとしか考えていなかった。しかし20年経てば、子どもは成人し、私は還暦を迎える。そんな当たり前のことを見つめ直し、今できることを考えた結果、短期的な「投機ノ業」から長期にわたり企業の持続可能な成長を支援する仕組みを立ち上げることにつながりました。

── ご自身のスイッチがオンになったタイミングはいつでしょうか? 9.11のアメリカ同時多発テロのときですね。当時は長男が生まれたばかりで、妻のお腹には次男が宿っていました。それまでは仕事も電話一本で多額のお金を動かし、利益をあげることに日々必死で、未来についてはぼんやりとしか考えていなかった。しかし20年経てば、子どもは成人し、私は還暦を迎える。そんな当たり前のことを見つめ直し、今できることを考えた結果、短期的な「投機ノ業」から長期にわたり企業の持続可能な成長を支援する仕組みを立ち上げることにつながりました。

「と」の可能性を、丸の内から。

── OCA TOKYOは、未来を後押しするスイッチでありたいと考えています。どのような場所になればよいと思いますか? 私は常々、渋沢栄一が唱えた『論語と算盤』の“と”の部分が重要だと考えています。これからの時代は“か(or)”ではなく、“と(and)”。要するに、足し算・掛け算によって化学反応を起こすという発想です。そのような意味でも、丸の内やOCA TOKYOにクリエイティブな人たちが加わると楽しくなりそうです。国籍、年齢、性別、業種を問わず多様な人が集まり、影響し合いながら、新しいクリエーションが起こる場になるといいですね。そして、利便性や機能ばかりでなく、貧困や環境といった地球規模で解決すべき課題を乗り越えるようなアイデアやプロジェクトが生まれてくることを願っています。

── OCA TOKYOで今後やりたいことがあればぜひ教えてください。 「Orchestra」と呼ばれるピアノルームを使ってピアノやサックスを演奏にチャレンジしたいですね。サックスは20年前に演奏していた時期があるのですが、挫折したので再開したいと思います。あとは、あまり目的を明確にしないで足を運ぶつもりでいます。本棚に並ぶ本の背表紙をパッと見て心が動かされるように、たまたま居合わせたメンバーと会話を楽しむこともあると思います。そんな些細な時間に豊かさのヒントがある気がしているので、OCA TOKYOというリアルな場にある「偶然の出会い」に期待しています。

渋澤 健

シブサワ・アンド・カンパニー株式会社

米系投資銀行、ヘッジファンドを経て、2001年に独立し、シブサワ・アンド・カンパニーを創業。2008年には長期投資を手掛けるコモンズ株式会社(現コモンズ投信)を創業。経済同友会幹事のほか、国連開発計画(UNDP)にてSDG Impact Steering Groupのメンバーを務める。2008年より渋沢栄一の思想の現代意義を学ぶ『論語と算盤』経営塾を主宰。

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