OCA TOKYO BLOOMING TALKS 013

人と自然とウイスキー

Released on 2021.10.15

OCA TOKYO BLOOMING TALKS

BLOOMING TALKS

自然体でテーマと向き合い、出会いに感謝し、相手を思いやりながら、
会話が咲く。笑顔が咲く。発見が花開く。

そんなコンセプトでお届けするOCA TOKYO限定のWEBメディア。
「BLOOMING TALKS」

新鮮な出会いと、魅力ある人たちの言葉を通じて、人生を謳歌するヒントを発信していきます。

新しいこの場所で、きょうも、はなしを咲かせましょう。

“日本のウイスキーの父”であり、マッサンの愛称で親しまれた故・竹鶴政孝氏。同氏が日本初の本格ウイスキー蒸留所にて所長となった1923年から、間もなく100周年を迎えます。この大きな節目を、政孝氏の孫でありOCA TOKYOメンバーの竹鶴孝太郎さんはどのように捉えているのでしょうか。祖父母の貴重なエピソードをはじめ、ご自身が大好きな自然のことなど「人と自然とウイスキー」をテーマにお話を伺いました。(2021年3月取材)

ジャパニーズウイスキー100年目の出発。

── 日本のウイスキーが100周年を迎えることについて、まずは率直なお気持ちをお聞かせください。 この100周年というのは、竹鶴家がウイスキー事業にたずさわってから100年という節目であり、また日本のウイスキーの次の100年に向けた特別なタイミングでもあると感じています。なかでも大きな改革と言えるのが、2021年2月に日本洋酒酒造組合によって定められた「ジャパニーズウイスキー」の定義です。これまでは輸入ウイスキーでも日本でボトリングすれば“ジャパニーズウイスキー”と名乗れていたものが、4月以降は国内で蒸留・貯蔵・ボトリングされたモルトウイスキー及びブレンデッドウイスキーにしか名乗れないようになりました。これは100年という歳月をかけて育んできた“ジャパニーズウイスキー”が、国際的に高い評価を得るなかで、そのブランド価値を保護するために定められたもの。まさに100年目の出発と言っていいでしょう。

── この100周年というタイミングは、新たな転換期でもあるのですね。 おっしゃる通りです。そして、このタイミングで思い起こされるのは、「ウイスキーの会社は100年、200年経って初めて一人前」という祖父の言葉です。祖父から父が継ぎ、私も三代目としてニッカウヰスキーに20年勤めましたが、日本でウイスキーという文化をここまで根づかせるのは、一代では到底不可能なことだったと改めて痛感しています。この節目を機に、ジャパニーズウイスキーと親和性の高いものや文化と協力しながら、世界に誇れる日本のものづくりを発信できると嬉しいですね。

── 孝太郎さんにとって、ウイスキーの魅力とは何でしょう? 驚かれることも多いのですが、私自身、実は下戸(げこ)なんです。ですので、私が日常的にお酒を嗜むことはないのですが、だからこそ思うのは、ウイスキーは人に楽しんでいただく、人と楽しむものであるということ。お酒を飲めない方でも、ウイスキーが会話の真ん中にあってともに楽しく団らんできることが魅力だと思っています。ちなみに祖父からは、特に「ウイスキーを飲め」と言われたことはありません。むしろ「飲まなくてもいいから香ってみろ」、「この香りと色が、本物のウイスキーだ」など、ものの見方の1つとしてウイスキーの話をすることが多かったように思います。

マッサンから受け継ぐもの。

── お爺様の言葉として、特に印象に残っているものは何でしょうか? 「ディグニティ(威厳・品位)を持て」という言葉ですね。つまるところは祖父と祖母(リタ夫人)との国際結婚の話になるのですが、祖父は相当見栄を張った生き方をしていたと思います。スコットランドの医師のお嬢様だった彼女を、親の反対を押し切って日本に連れてきた手前、先方のご家族にも娘さんがちゃんと日本で生活できていることを伝えなければならない。それを義務として自らに課していたのではないでしょうか。さらに、ウイスキーは彼女の本国発祥のもの。きっと本物のウイスキーを日本で作らなければならないという、大きなプレッシャーもあったはずです。そんな状況下でも、弱さを見せずに意志を貫き続けた姿勢こそが、祖父が体現したディグニティであったと感じますし、祖母のリタも同様にディグニティのある女性でしたね。

── ちなみに、現存の資料などを拝見すると、お爺様はいつもお洒落ですね。 同時代の吉田茂さんや白洲次郎さんなどもそうですが、当時の方々は皆さんお洒落だったように思います。特に祖父の場合、「服装は自分自身の人格である」とも言っていましたから。ちなみに『ウイスキーとダンディズム』(出版:角川oneテーマ21)でも書きましたが、祖父からは、「自分の写真のポーズと名前のサインはちゃんと練習しておくように」と言われていました。ポーズは自らの印象、文字は自らの品格につながると。

── “ダンディズム”という言葉が、まさにピッタリの人物だったのでは? その通りだと思います。いつもきちっとスーツを着て威勢のいい大声で喋る人だったので、周りからすると近寄りがたい存在だったかもしれませんが、地位などで人を選ばず、誰とでも気さくに関わる人でした。私自身、いろいろな人とお付き合いをしますし、好奇心が旺盛なのは祖父の影響を受けていると思います。また、祖父がどんな人物だったのかを伝えられるのも今となっては私しかいないので、何らかの形で発信し続けていくことも自分の役割だと思っています。

“自然”という最高の贅沢。

── 孝太郎さんは、自然がとてもお好きだと伺っています。 北海道生まれ、北海道育ちということもあって、自然の風や光や匂いというのが身体に沁みついているのです。そのため、都会の人が山に登ったりするのとは少し違って、自然の中にいる方が、自分にふさわしいのではないかとも思います。鮭の遡上ではありませんが、年齢を重ねるにつれて、かつて自分がいた場所に戻りたくなると言いますか、人間にもそんな帰省本能があるのではないでしょうか。言い換えれば、それも“自然”なことかもしれませんね。

── 自然にまつわるお爺様とのエピソードがあれば教えてください。 幼い頃、祖父に「贅沢とは何か?」と聞かれ「わからない」と答えると、「お前がここにいることだ」と言われました。当時は家の敷地内に、あらゆる果物や穀物が育てられていて、家屋のすぐ後ろには牧場もありました。搾りたての牛乳や泥のついたきゅうりやトマトを毎日最高の状態で食べることができたのです。これ以上の贅沢がどこにあるのかと。祖父が私に伝えたかったのは、「お金をかけて美味しいのは当たり前。自然の中で、そのときだけの体験をすること。それこそが、最高の贅沢である」ということだと思っています。

── 大人になってからも、自然の素晴らしさを感じることはありますか? 友人がニセコに約3万坪もの土地を購入し、景色の良い場所に家を建てたのですが、その自宅から雄大な自然を眺めながら話をしていたときに、改めて自然の素晴らしさ、人と自然が織りなす価値に気づかされました。美しい景色の中で感動的な体験を仲間と分かち合う、その瞬間がかけがえのない価値であり、テクノロジーでは置き換えられない自然の魅力だと思います。

この場所が、100年愛されるために。

── これからのOCA TOKYOに期待していることを教えてください。 新しい生活様式やこれからの暮らしを発信していく場になってほしいですね。人が直接足を運ぶ機会がどんどん減っている時代というのは、逆を言えば、わざわざ足を運ぶ場所にはとてつもない価値があるということ。OCA TOKYOがそれだけの価値を持つ場に育つかどうかは、まさにこれからだと思います。もう1つは、海外や地方との接点としての役割です。個人的にも、日本の伝統的なものづくりの文化を広く伝えていきたいと思っているので、それらを担う作り手の方々が交流できる場になると嬉しいです。

── 日本のものづくりの文化を伝えていきたいと思われているのはなぜですか? 私が知る職人の多くは、代々技術を継承し伝統を守り続けていらっしゃいます。そのものづくりの歴史に敬意を感じていることが大きな理由です。新しいものばかりでなく、伝統として何百年と続いているものにも目を向けなければ、未来のことはわかりません。個人的には、日本の伝統や文化を担っている方々をOCA TOKYOにお招きすることで、新しいご縁をおつなぎしたいと思っています。この場所での出会いがきっかけで、新たな創造や文化が生まれ、次の100年へとつながっていく。そんな可能性に期待しています。

── 最後に、ウイスキーのようにOCA TOKYOが長く愛される場所になるために大切なことは何だと思いますか? 海外の老舗クラブやサロンに倣うのであれば、最初に掲げたスタンスをいかに保てるかがとても大事だと思います。言い換えるなら、運営を担う一人ひとりの「覚悟」でしょうか。日本であれば、老舗ゴルフクラブのようなイメージです。メンバーたちは、その「場」の伝統と歴史に高い誇りを持っています。誇りを醸成していくためには、ウイスキーと同じで、“マチュレーション(熟成)”が必要不可欠。そういった意味では、数十年という時を経て、館長の廣野さんがお爺さんになられるころに、OCA TOKYOの真価が問われる気がします。

竹鶴 孝太郎

合同会社 竹鶴商品研究所

ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝とリタ夫妻の孫。大学卒業後、ニッカウヰスキーに入社し20年間勤務した後、1998年、ブランドコンサルティング会社創設。2005年、ビジュアル制作会社大手アマナと合流。現在、現職代表のほか、株式会社アマナ顧問、ニッカウヰスキー株式会社顧問を務める。

Archives