OCA TOKYO BLOOMING TALKS 022

日本美術の謳歌と応化

Released on 2022.01.07

OCA TOKYO BLOOMING TALKS

BLOOMING TALKS

自然体でテーマと向き合い、出会いに感謝し、相手を思いやりながら、
会話が咲く。笑顔が咲く。発見が花開く。

そんなコンセプトでお届けするOCA TOKYO限定のWEBメディア。
「BLOOMING TALKS」

新鮮な出会いと、魅力ある人たちの言葉を通じて、人生を謳歌するヒントを発信していきます。

新しいこの場所で、きょうも、はなしを咲かせましょう。

OCA TOKYOの名前の由来になっている「謳歌」と「応化」。美術家であり教育者としても活躍するミヤケマイさんは、まさにその姿勢を体現するような存在です。創作の流儀やアートの社会的な役割、OCA TOKYOで2022年1月に開催するイベント『ART ACADEMY#3 伝統と応化』について語られる中で、一流のビジネスパーソンとアーティストとの、意外な共通点が見えてきました。

表現したいものによって、手段は自然に変わる。

── ミヤケさんは、どのようにしてアーティストになったのでしょうか? もともと私は美大に行くというモチベーションはありませんでした。受かったものの学校が遠いという理由で結局は行きませんでしたし、新卒でしっかり就活をして入社した大手町勤務も1年で辞めましたし、妻や母になるわけでもなかった。公私共々最悪なときに、「こんなに生きるのが大変なら、好きなことで苦労したい」と思ったのです。そこから少しずつ歩みを進めていくうちに、バイト先で絵を描いていたことが銀座の画廊でのデビューにつながります。すると、それが徐々に仕事になり消去法のような形でアーティストの道が開かれていきました。いろいろな偶然と、見出してくれる方々のおかげで出発できたと思っています。

── 作品も多様な形態で発表していますが、その理由をお聞かせください。 伝える内容によって、メディアム(媒体)が変わる方が自然な気がします、岡倉天心以降、日本では、絵画を描いている人は画家、立体作品を創っている人は彫刻家などと、どのメディアムを使うかで区別する風潮があります。ですが、作家にとって最も大切なのは、「どの素材か」ではなく「何を表現したいか」です。これは、例えば作曲家が「前回の曲にはオーボエを使ったけれど今回はタブラ(※北インドの打楽器)が必要だ」と、曲に合わせて楽器を決めるのと同じように、私の場合も、表現したいものありきで素材を選ぶことで、自然と多様な形態になる傾向があります。

── ミヤケさんのたおやかな作風からは、独自性とともに日本文化への造詣の深さを感じます。 私の作品は、自分の生活とは切っても切り離せないものなので、私が西洋美術をやっても“西洋風”にしかならない気がします。美術家として「自分が表現できるリアルで必然性のあるものは何か?」と考えたとき、日本文化を抜いては自分を語れないと思ったのです。私は日本に生まれ、日本人の親のもとで育ち、和室がある空間で生活し、身内にお茶を嗜む人がいて、お着物を着る人たちに育てられてきました。ピアノやクラシックバレエを習うよりも、日舞やお茶、お花の方が好きだったのは、そんなことが影響している気がします。今は学生に私が先人にしていただいたことを受け渡し、私がしてもらえなかったことを実践してみようとしています。日本に住んでいたら日本のものに囲まれ消費していくのが身の丈にあった無理のない暮らしだと思うのです。「日本文化が好きで、その良さを伝えたい」という思いが第一にあるというより、それを外して語れない、自然とそうなると言った方が妥当な感じです。

空間にふさわしい、生きる作品づくり。

『不死鳥 Dove in the Fire』(2017)

── OCA TOKYOにある和室の床の間には、ミヤケさんの作品『不死鳥』が飾られています。 こちらはOCA TOKYOのアート監修を務め、京都芸術大学の教授でもある、現代美術家の椿昇さんから依頼されて、床の間のサイズをはじめ、どのような場所に飾るかを伺って選びました。この作品は「本当の平和主義」とは何かを考えたものです。平和主義者と聞くと弱いイメージを持たれることがありますが、本当の平和主義者とは、芯があり、守るべきもののために立ち上がる強さを持っているはず。そんな姿を伝えたくて、かつて戦場を飛んだ軍鳩を“鷹匠の鷹”に見立てて、武闘派の平和主義者を表現しました。また、本紙の左側に焦げ目をつけているのは、焼き討ちや失火によって焼けてしまったお寺の経典をそのまま表具にするという「焼経(やけぎょう)」の文化を踏襲しています。焼かれてもなお美術品として生き残る強さ。そこに「暴力の中で抑圧に屈しない、続いていくものの力」に対する願いを込めています。

── 制作するうえで、どのようなところにこだわりましたか? 私は制作する際に、まず場所を見て、どこに作品を置くのか、季節や時間はいつか、誰が見るのかといった、いわゆるサイト・スペシフィックの手法を必ず用いて作品を成立させています。これは外的環境を排して美術は独り立ちできないという、日本美術の考え方に起因しています。こうすることで、自分の作品だけが目立つ空間ではなく、作品が入ることで空間の他の要素が生きてくるのです。また私の作品は、西洋絵画のように額装を別の人に依頼するのではなく、表具自体も作品として、本紙の絵を補完し本紙と連動する、もしくは謎解きのヒントの役割も組み入れながら、作品と表具がお互いを立て合うように制作しています。この『不死鳥』の場合は、銀箔を木の上に紙を置き、こすって木目の凹凸を浮かび上がらせるフロッタージュの技法を使い、闘う鳩が休息できるように、木のうろの中に鳩がいるように仕立てています。そして骨のような形の軸先は、陶芸家の内田鋼一さんに作っていただきました。パッと見で伝わる部分と、色々なシンボリズムや知識があることで見えてくる部分を重層的にしているので、その人の今までの経験や知識によって見えてくるものが変わるようになっています。

社会性を宿らせ、次世代につなぐ。

── 20年以上活動を続ける中で、アートに対する考え方が変わったタイミングはありますか? 3月11日の東日本大震災の直後ですね。これまでの考え方や判断の仕方などに対して危機感を覚えました。そして「自分には何ができるんだろう?」と考えたとき、「被災地へ行って瓦礫を撤去することではない。私ができることは、美術家として与えられた表現の機会を最大限に活用することだ」と思い至り、渋谷にあるBunkamuraで『膜迷路』というタイトルの個展を開きました。これは「フォーカルポイント(Focal point)」という、真正面から少しでも立ち位置がずれると画像が崩れて、抽象絵画のようになってしまうシリーズの一貫でもあったのですが、まさに当時は、社会的な立ち位置によって、見えてくるもの、見えないもの、見たくないもの、消去されるものをたくさん目にして、そのときに感じた恐ろしさを表現しました。それまでの私は割と自分の小さな世界を中心としたノンポリな作品でしたが、この個展を機に自分と社会との関係性を意識し変化していきました。

『見えないものThe Intangibles』(2011)個展『膜迷路』Focal pointより
Photo: Satoshi Shigeta

── 近年は京都芸術大学で教鞭を執られています。なぜ活動の幅を広げることにしたのでしょうか。 私自身と社会とのつながり方を改めて考え直したとき、次世代に、見ること・考えること・生きることとは何かということを、アートの教育現場を通じてはたらきかけたいと、3.11以降に思ったからです。京都芸術大学の特任教授のお話は、OCA TOKYOでも監修をしている椿昇さんからいただきました。そこで「僕は海外へ行って、自国の文化が語れなくてとても恥ずかしい思いをした。次世代の現代アーティストたちには、きちんと自国の文化を踏まえて作品を創ってほしい」というお話をしてくださって、私も日本人がまるで外国人のようになっていく中で日本美術をやっていくことの困難さとともに「鉄は熱いうちに打った方が楽だな」という思いもあったのでお引き受けしました。

── 実際の授業の内容も気になります。 日本の基礎美術を教えているのですが、私がこだわって椿さんにお願いしたのは、道具を作るところから、学びを始めるということ。絵を描くなら筆から作らせ、お茶の授業もまず学生に山で土を取って来てもらい、窯を耐火煉瓦で作り、それで赤楽のお茶碗を作り、茶杓も竹を切って作る。そして、自分で作った道具を使って絵を描き、お茶を点ててもらいます。
例えば、茶道には茶道具の「拝見」という所作があるのですが、何も知らずに茶杓を見ても、ただの棒にしか見えず、その良さは絶対にわかりません。わからないのにわかった風を装っても、ただのおままごとです。しかし茶杓を自分で削ったことがあれば、「こんなに細く作れるなんて!」「一刀で的確に切り出されている!」などと、拝見した茶杓の本質的なすごさがよくわかるのです。先生に言われたこと、画材屋さんで売っているものだけでオリジナリティは育ちません。自分の作風も、道具を開発する・技法を「自分で作る」ところから始まると思っています。

その他、日本の無形文化財の和食の基礎であるお出汁の授業や、京都の老舗骨董屋やお寺などを廻り、京都を通して、日本、そして学生に希薄になりがちな社会と自分とのつながりや問題点を考えてほしいと思っています。
今の日本人は、自国の文化が内蔵されているのにも関わらず、その内なる自分を理解できず、教えてくれる人も身近にいません。畳の部屋がない家も増えていますし、日本文化は昔ほど感じられなくなっています。文化が衰退すると、筆を作る人、紙を作る人といった、モノづくりを担う職人さんから廃業してしまいます。自分で道具を作らなければいけない時代が来るかもしれないのです。「道具を作る」という基礎力が役に立ってしまう世の中を、学生たちが生きていかないで済むといいと思っているのですが、心配もしています。

「初めて」を、OCA TOKYOで。

── ビジネスパーソンとアーティストが交流することについて、ミヤケさんはどうお考えですか? OCA TOKYOにいらっしゃる方は、経営者やビジネスの最先端でご活躍されている方も多いですよね。そういう方々とアーティストは、一見対極の存在に見えますが、私は実は出発地点や登り方が違うだけで、同じ山を登っている気がしています。まずビジョンがあり、それを達成するためにあらゆる手を使って実現する。そして妥協せずに目指していたものを手に入れ、成功した結果、総じて孤独にもなる。一生懸命に生きているのに、なぜか理解されず報われないところが必ず出てくる。そんな共通項があるのではないでしょうか。そして、そんな気持ちを補うために、アーティストは作品を創作し、ビジネスの人は感動したアートを手に入れる。そうやってお互いアートによってバランスが保たれ、生かし生かされているのだと思います。

── 1月にはOCA TOKYOで「床の間三点飾り」に関するイベントを開催するそうですね。その内容についても教えてください。 もともと日本には、床の間に軸と盆石と盆栽の3つを飾る「床の間三点飾り」という文化があったのですが、戦後日本の家から床の間がなくなっていくうちに一家離散が起こりバラバラになってしまいました。その「三点飾り」を復活させてみようと、数年前、埼玉国際芸術祭の一環で作家の須田悦弘さんと大宮盆栽美術館の展示に招聘されたのですが、今回のOCA TOKYOでのイベントは、それらをベースに実際の盆栽、入れ物、台を観ながら、それらが盆石や掛け軸と一緒にあることで何を表しているのか、お互いがどのように引き立て合っているのかをお話しするという内容になります。作品として成立させるためには、それぞれのルールを踏まえたうえで1つにまとめる必要があります。その工程が大変であり面白いところです。互いに譲り合い、全体を引き立てながら、自分も生かされていく。そんな日本文化の粋(すい)を味わえるイベントしたいと思っています。

── 飾りを愛でながら、奥深い学びもありそうな内容ですね! 最後に、ミヤケさんはOCA TOKYOがこれからどのような場所になることを期待しますか? 大人になると知らないこと、初めてのことに挑戦しなくなるものですが、OCA TOKYOは、「初めてのことをする場」であったらいいと思います。今回のイベントに来て、ご自分の新しいを、発見してくださったら嬉しいです。

ミヤケ マイ

美術家/京都芸術大学教授。日本美術の文脈を独自の視点で解釈し、媒体を問わない表現方法を用いて伝統と革新の間を天衣無縫に行き来する美術家。表現される様々なシンボルや物語は、多重構造によって鑑賞者との間に独特な空間を産み出す。過去・現在・未来をシームレスにつなげながら、物事の本質や表現の普遍性、価値観のあり方についてたおやかに問い続けている。http://www.maimiyake.com/news

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