OCA TOKYO BLOOMING TALKS 038

生涯続く人生の行

Released on 2022.07.01

OCA TOKYO BLOOMING TALKS

BLOOMING TALKS

自然体でテーマと向き合い、出会いに感謝し、相手を思いやりながら、
会話が咲く。笑顔が咲く。発見が花開く。

そんなコンセプトでお届けするOCA TOKYO限定のWEBメディア。
「BLOOMING TALKS」

新鮮な出会いと、魅力ある人たちの言葉を通じて、人生を謳歌するヒントを発信していきます。

新しいこの場所で、きょうも、はなしを咲かせましょう。

この世で最も過酷な荒業とされる「千日回峰行」。1300年の歴史で満行者はわずか2人であり、そのうちの1人がOCA TOKYOメンバーである塩沼亮潤さん。想像を絶する経験がもたらした悟りは、いったいどんなものだったのか。今の時代を、そして多くの人の人生を照らす、珠玉の名言・金言が盛りだくさんの取材となりました。

花どうしは争わない。

── 究極の荒行と言われる「千日回峰行」に挑んだきっかけを教えてください。 小学5年生のときにテレビで偶然この修行のことを知り、自分もやってみたいと純粋に思ったのがきっかけです。ほどなくして両親が離婚し、母と祖母との3人暮らしになったんですが、貧乏だったのでご近所の方からよくご飯のおかずを分けてもらっていました。その頃から「世の中の役に立てるような人間になりたい。それが周りの人への恩返しになる」と思うようになったことも、大きな動機のひとつです。

── 当時どのような姿勢で臨まれていたのでしょうか。 往復48km、高低差約1,300mの山道を毎日16時間かけて歩くのですが、それを9年間で千日続けるのが千日回峰行。基本的には、毎日同じことの繰り返しです。大変だからこそ、毎日本気で取り組みましたし、心なくただ歩くだけにならないよう細心の注意を払っていました。同じ千日歩くにしても、一生懸命歩くのと嫌々歩くのとでは天と地ほどの差があります。たとえいい大学に入ったとしても勉強し続けないと、いい会社に入れなかったり、入れても活躍できなかったりする。それと同じです。

── 修行を終えたとき、目の前にどのような世界が広がっていましたか。 これといって大きな感動もなく、いつもと同じ景色がそこにあるだけでした。千日の修行を終えた瞬間、何かが劇的に変わるのではありません。思えば、毎日が小さな悟りの積み重ねでしたね。例えば、山中で小さな花を見つけたとき、ふと考えるのです。なぜこの花は、誰にも見られないような場所できれいに咲いているのかと。そのときに気づいたのは、与えられた環境の中で最善を尽くしていて、だからこそ美しいということ。花自身はこれ見よがしに咲きませんし、花どうしで決して争うこともない。私も花のようでありたいと思いましたね。そのようないくつもの小さな気づきが、千日回峰行の成果と言えるのかもしれません。

── 「花は争わない」とお聞きして。昨今はロシアによる軍事侵攻もあり、人類は未だに争いを繰り返しています。塩沼さんはそんな世の中を率直にどう感じていますか? もっと一人ひとりが「自分だけが幸せになればいい」という我欲を抑えることが必要だと思います。つまりは、足るを知る。現状で満足していると、常に自分に言い聞かせるのです。人は生まれたら必ず死にます。その間をどう生きるか。一人ひとりが自分の心の埃をはたくように内面を磨き、常に自身の生き方を真理に近づけていくことが大切だと私は考えます。宗教の「宗」は真理の意。それを「教」えていくのが私のような宗教者の役割です。「より人のために生きよう」という自覚を多くの人へ促せるような活動や新しい仕組みを、宗教者である我々はもっと考えるべきだと最近は感じています。

話すことが苦手でした。

── 塩沼さんは自身で慈眼寺を建立されています。そこへの思いやきっかけを教えてください。 千日回峰行を終えてから自分の拠点を作りたいと思ったところが始まりです。ただ、お金はないし本山からの援助もなかったので、本当に1からの手作りでした。自分で寺の設計をしたり、材木をもらってきたり、宗教法人の取得などすべてが手探り。でも、そうやって一生懸命に頑張っていると不思議と周りの方が助けてくれるのです。知り合いの方が寄付をしてくださるなど、少しずつ目処が立つようになり、なんとか建立にたどり着きました。

── 一般的な感覚で言えば、大学を出てすぐに起業したようなイメージですね。 そうですね。そういった意味で、私は「大学」では優秀な成績を収めたと言えるかもしれませんが、あまりにも世間を知りませんでした。もちろん住職になったことも、弟子を持ったこともありません。「修行の経験を伝えてほしい」と書籍の執筆や講演などの依頼が来るようにもなりましたが、言語化する能力がなく、本は書けないし、喋れませんでしたから、まさに“ないない尽くし”でしたね。必死に勉強して、経験を重ねて、少しずつ言葉にできるようになっていきましたが、最初の頃は本当に苦手で…。お寺の建立と言語化の勉強を同時に進めていたこの時期は、私にとっては千日回峰行よりも辛い時期でした。その証拠に、修行のときは血尿が出るくらい大変でしたが、この時期はそれに加えて血便まで出るほど身体としてもギリギリでしたから。

── 喋るのが苦手だったことが嘘のように、今ではラジオなど多方面でも活躍されていますが、その原動力は何なのでしょうか。 特に何かを伝えようという意図はなく、ただ好奇心旺盛なのです。最初にラジオ番組を依頼された瞬間は「できない」と思いました。でも次の瞬間、やっぱり「やろう」と。一瞬でも面白そうだと思えたら、できる限り挑みたいです。自分の興味から逃げてしまいどこか自信のないまま、苦手意識を持ちながら人生を歩むのが嫌なので。ですから修行は今もなお続いていると思っていますし、まだまだいろいろなことを勉強している最中です。

── あれだけ大変な修行を終えてもなお、日々の挑戦は終わらないということでしょうか。 千日回峰行はいわば、山道を往復するというルーティン作業でした。現在は日常というルーティンの中を生きています。両者はまったく違うようで、どこか似ている。私自身、常に毎日を本気で過ごすことはあの頃からずっと変わっていません。千日目の最終日、それまでつけてきた日記を、あえて記しませんでした。私の修行の終わりは千日目ではなく、あの世に行くときだと決めていましたので、その意味も込めて。講演で話すのも、ラジオで仕事をするのも、こうして取材に応じるのも、ただ生活するのも。すべては千日回峰行の延長であり、そんな日常の中で、今でも新しい自分を発見し続けているのです。

カバー曲よりも、ライブを楽しむ。

── まさに「人生=修行」を体現されているんですね。 人生を修行と捉えると大変そうな印象を持つ方も多いかもしれませんが、実は人は、プレッシャーやストレスといった大変さを感じる状況がないと成長しないのです。ここOCA TOKYOのメンバーも、特に若いときに血の滲むような努力を経験してきた方が多いと思います。そういった経験がないと、頭ひとつ突き抜ける存在にはなれませんから。プレッシャーやストレスは自分を育ててくれるものと捉えていれば、そういった環境も楽しめるようになるのではないかと思います。

── 何かと不安の多い現代にも、成長のチャンスが山ほどあるとも言えそうですね。 そう思います。少しずつ困難を乗り越えながら成長し、次のステージ、次のステージとステップアップを繰り返して目的地へと向かっていく。そういうゲーム感覚があれば、苦難も楽しめるし、攻略できたら嬉しくもなります。そんなマインドでいられたら、日々のいろんなことがきっとポジティブに見えてきます。ちなみに私はそんなゲームをやったことがなく、近所の子どもから聞いたことを参考に話しただけですが(笑)。

── 塩沼さんからゲームの話題が出るのは意外でした。 最近気づいたことなのですが「まずは自分が楽しむ」という意識はとても大切です。なぜなら、多くの人は楽しそうな人のもとに集まってくるし、そうなると勝手にリスペクトしてくれたり、真似してくれたりする。私は宗教者として、これまでは何かを「伝えよう」とあれこれ取り組んできましたが、そんなことを考えなくても、楽しそうにしていれば「伝わる」ことがわかったのです。そのため今はより作為的なものがなくなり、自然体でいられるようになったと思います。

── 今後はどのような活動をしていこうと考えていますか? もうあとは終活ですね。と言っても、100歳になっても最前線で生きていくのが私なりの終活ですが(笑)。また、慈眼寺は誰にも継がせずに一代で終わらせることも決めています。これは私がライブ感覚を大切にしているためです。宗教は基本、神様や仏様が言っていたことを代わりに伝えるという、言ってしまえばカバー曲を提供し続けるような仕組みです。もちろん、素晴らしい内容もたくさんありますが、私はその時代をともに生きる人の言葉の方が、より重みを持つと考えています。カバーではなくオリジナルのライブのように、私が感じるまま、私自身の言葉でできる限りタイムリーに伝えていきたいと思っています。

年老いてからも、苦労は買い続けよう。

── 現在も国内外問わず多忙な日々を過ごされている塩沼さんですが、リフレッシュなどはどうされているのですか? 束の間の休息という意味では、いつどこに行くにも同じ茶道具を持ち歩いてお抹茶を立てていますね。飛行機の中で立てることもありますよ。中でもこの茶杓は叔父が亡くなる少し前に買ってくれた、叔父の形見です。筒に「Bon voyage」とあり、どこかに行く度に叔父から「いい旅を」と言われているような気がして。一方この赤い巾着は、私が19歳のときに修行していたお寺の近所の土産物屋で買ったものです。私の「初心」と言えるものかもしません。

── 移動が多い塩沼さんは、OCA TOKYOを普段どのように利用されていますか? 国内外へ飛び回るため、仙台の慈眼寺のほかに最低限の着替えや荷物を置いた拠点が都内にあるのですが、こう見えてけっこうOCA TOKYOを活用させてもらっています。例えば、皇居周辺をウォーキングした後、ここで着替えも済ませることもありますし、自分のライフスタイルにぴったりな場所だと思っています。勉強、会食、取材対応、軽いフィットネスなど、ここですべて完結できるのが嬉しいですね。

── ありがとうございます。最後に塩沼さんが人生を謳歌するために心がけていることを教えてください。 OCA TOKYOメンバーの皆さんには共感いただけると思いますが、若いうちに苦労は買ってでもすることです。すると、遅くとも50~60歳までには大体幸せになれる。でも、そこであぐらをかいてはいけません。さらに努力を続け、より幸せになるための道を歩むほうがいいと私は思います。何事も続けることは難しく、だからこそ価値があります。「若いうち」にと言いましたが、年老いてからもずっと苦労を買い続けていくのがさらに望ましいです。心配しないでください。いつでもどこでも簡単に、苦労は買える時代ですから。

塩沼 亮潤

福聚山 慈眼寺住職 大峯千日回峰行大行満大阿闍梨

1968年宮城県仙台市生まれ。東北高校卒業後、1987年に吉野山金峯山寺で出家得度。1999年、史上2人目となる大峯千日回峰行を満業。2000年、四無行満行。2003年、慈眼寺建立。2006年、八千枚大護摩供満行。現在は各メディアでのインタビュー対応や発信に加え、自身がパーソナリティを務めるラジオ番組への出演や、書籍の執筆活動など、今なお活躍の場を広げている。

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