OCA TOKYO BLOOMING TALKS 046

医療の再構築、その確信と覚悟

Released on 2022.09.30

OCA TOKYO BLOOMING TALKS

BLOOMING TALKS

自然体でテーマと向き合い、出会いに感謝し、相手を思いやりながら、
会話が咲く。笑顔が咲く。発見が花開く。

そんなコンセプトでお届けするOCA TOKYO限定のWEBメディア。
「BLOOMING TALKS」

新鮮な出会いと、魅力ある人たちの言葉を通じて、人生を謳歌するヒントを発信していきます。

新しいこの場所で、きょうも、はなしを咲かせましょう。

6年間、医師として医療に従事した後、「投資型医療」というコンセプトを掲げ起業したOCA TOKYOメンバーの山本雄士さん。代表を務める株式会社ミナケアでは、健康診断をはじめとする個人の医療データに基づくヘルスケア事業を展開しています。そんな山本さんの話には、医療の在り方に対するクリアなお考えと、穏やかで真っすぐな「お医者さん」ならではの人間味が伝わってきました。

もったいない治療費がある。

── 山本さんが代表を務める株式会社ミナケアの事業について教えてください。 なるべく病気にさせないで、健康を守り育てるような「投資型医療」を掲げ、おもに企業や自治体に向けたコンサルティングや各種健康サービスを展開しています。メインクライアントは、皆さんも持っている健康保険証を発行している健康保険組合。定期的に健康診断に行く人、通院する人も多いと思いますが、実はそのすべてのデータが健康保険組合に集積されています。それを分析することで、例えばAさんは血圧が上がってきたけど病院に何年も行っていないからリスクが高まっている、といった健康課題を早い段階で発見できるので、大事に至る前にケアができるようになります。そうやってデータ分析に基づいたヘルスケアサービスを通じて人々の健康を守っていくことが、僕たちの使命のひとつです。

── 「投資型医療」という言葉には、どんな意味が込められているのでしょうか? 病気というと、やむを得ずかかってしまうものだけではありませんよね。タバコの吸い過ぎで肺がんになる。肥満を放置して糖尿病になる。歯を磨かないで虫歯になる…。これらは、かかるべくしてかかる病気とも言えます。そんな病気に対して高い治療費を払うことは、浪費や無駄使いに近いと思いませんか? そのアンチテーゼとして「投資」という言葉を使いました。病気になってからの対処ではなく、健康なうちに健康を守り合うよう働きかける。そんな新しい医療のカタチを試行錯誤しているところです。

── まるで病院の外から、医療を再構築しているようにも感じます。 そうかもしれないですね。僕自身、ミナケアは医療の拡張という思いを持って事業をしています。もちろん、病気を治すための創薬や医療技術の発展は欠かすことのできない素晴らしい取り組みですが、病気にさせないことにフォーカスすることも同じくらい大切です。ただ、元気なうちはほとんどの人が医師の話や健康に関する話に耳を貸さない現実もあって、そのあたりは突破しなければならない課題のひとつですね。

── どのようなスタンスでクライアントの健康経営を支えているのでしょうか? わかりやすく言うと、健康推進係のおせっかいなリーダーというスタンスです。ポイントとしては、一人ひとりの行動を変えるために、周りの環境にも働きかけることを意識しています。例えば、長く支援させていただいている日本航空さんの場合、各部署やチームごとにウエルネスリーダーを任命し、その方たちに健康研修のようなものを受けてもらいました。その後は学んだ内容を現場で実践してもらうのですが、特に難しいことではなく「食事のバランスに気をつけて」とか「今月は意識的に歩きましょう」といった“声かけ”をチーム内で日々やってもらっています。普段の職場環境で仲間と一緒に健康的な行動をする。そうやって地道に健康意識を高めることで、企業全体の健康経営に貢献しています。

観念して、起業しました。

── 医師をしていた頃の山本さんは、どのような日常を過ごしていましたか? 医療に従事する中で募ってきた思いなども教えてください。 医師時代は、循環器内科や救急医療などに従事していて、忙しくも充実した日々を過ごしていました。大きなやりがいのある一方で、助けられたはずの命を助けられないケースにも直面します。どうしてもっと早く来てくれなかったんだろう? 倒れる前に出会っていれば助けられたかもしれない。病院の中で待つしか方法はないのか? そんな違和感のような思いが募っていきました。そういえば、起業する前には「これからは“ナマハゲ医療”が必要だ」と周囲に漏らしていましたね。「泣ぐ子はいねぇがぁ?」のように、医師が「病気の人はいねぇかぁ?」と、倒れる前の人を探す医療です。今思えば「投資型医療」の構想はこのあたりからすでに始まっていたのかもしれません。

── いわゆる「未病」へのアプローチだと思うのですが、病院で医師を続けながら挑むことも考えたのですか? 健康な人が増えることは、社会にとって理想的です。一方で、病院は患者さんの治療を対象にした場所です。そうなると、病気にさせない場所はどこだろう? それも医師の役割なのに…。そんなジレンマから、病院の中からだけではない、より広い視野で取り組んでいく必要があるように感じていました。

── 医師を辞めてからビジネススクールに通われていますが、そこにはどんな動機があったのでしょうか? 医師5年目に職場の忘年会があり、そこで教授にいろいろと意見をぶつけてみたんです。今の医療のあれがおかしいとか、病院のこれは違うと思うとか。すると教授から「そんなに言うならビジネススクールにでも行ったらどうだ?」と言われました。「その手があったか」と思って、あとはもう勢いでしたね。翌年勉強して年末に応募して、次の春にはアメリカ行きが決まりました。当時は医師がビジネススクールに行くのは本当に珍しいキャリアだったので、ずいぶん後ろ指を指されましたね。同僚たちからは「山本はお金儲けに走った」なんて言われましたし(笑)。

── ビジネススクールで印象的だった学びを教えてください。 そもそもビジネスを学ぶこと、それも自分にとって初めての海外生活は、周りの仲間たちとの交流も含めて毎日が刺激的でした。なかでも経済学者のマイケル・ポーターさんに出会えたことは大きかったです。当時、彼は世界の医療業界の研究をしていました。でも日本の医療については英語の資料が少ないことから研究対象になっていなかった。そこで僕が名乗り出たところ、なんと同じチームで研究できることになったんです。そこで過ごした時間は学びが多く、彼の医療に対する考えも僕の問題意識と近しいもので嬉しかったですね。彼の著書『医療戦略の本質』の翻訳を任されたこともいい経験になりました。この中で彼は「医療業界は自分たちの役割をもう一度定義し直す必要がある」と説いています。医療をなんとかしたいと考えていた僕も、その言葉に背中を押してもらいました。

── 帰国されてから起業まで4年ほどかけていますが、最終的な起業のきっかけは何でしたか? 正直に言うと、最初は自分で起業するつもりがまったくありませんでした。「絶対に未来を変えてやる!」といった威勢のいいエピソードがあれば良かったですよね…(笑)。もちろん「投資型医療」の必要性も可能性も強く感じていたし、具体的な事業モデルもありました。でも帰国してからの4年間は、ひたすら周りにその構想を話すだけでした。皆さん「いいね!」と言ってくれるのですが、結局やるよと名乗り出る人は現れませんでした。同時に、この課題を見つけたのは自分であり、誰よりも可能性を感じているのも自分だとわかったんです。もう自分でやるしかないのか…。そう観念して起業した、というのが実際のところです。

笑顔は、健康のバロメーター。

── ミナケアが目指すこれからの医療の在り方を教えてください。 病気を未然に、お互いに防ぐことが当たり前の世の中にしていきたいと思っています。今は、体調が悪くなったり倒れたりして初めて病院へ行くのが一般的です。しかし今後は医療コミュニケーションとデータ解析が進歩することで、体調が悪くなる前、倒れる前に病院へ行くよう催促できるようになると考えています。そして、ゆくゆくは「平成とか令和って、倒れてから病院に行ってたんだって。怖いね」といった会話が聞こえてくるような、そのくらい自分たちのビジョンが当たり前になった社会の実現を目指しています。

── 最近の取り組みで興味深いデータや気づきがあった事例があれば教えてください。 品川女子学院の中学校3年生に協力してもらい、両親の健康を守るプロジェクトを実施したことがあります。まず、春休みに両親の生活習慣を秘密裏に観察。次に、1学期の間にコミュニケーションデザインを勉強してもらい、夏休みの間に両親の生活習慣の問題点を改善するよう学生たちからコミュニケーションを図る。結果的に想像以上の効果があって驚いたのですが、興味深かったのが、学生に聞いた「両親の生活習慣で気になること」の1位が「笑顔が少ない」ということ。この結果にはハッとさせられましたね。ミナケアでは、その人が社会とポジティブに関われる状態を健康と定義しているので、笑顔は健康を示すひとつのバロメーターだと改めて感じました。

── ミナケアが挑んでいる「健康」というテーマは、医療に限らず様々な分野でも重要になってくると思えてきます。 たしかにそうですね。僕らは医療をメインに話ができますが、先ほどの学校の例では「教育」ですし、特に「食」の領域は親和性が高いと思います。様々な領域にミナケアが関わることで、企業の健康経営のみならず、もっと医療を様々な生活シーンに拡張させていけたらと思っています。

── 起業してから現在まで、山本さんが手応えとして感じるものは何でしょうか? はっきり言ってしまうと、医療と健康の周辺にある問題の根深さにことごとく直面しています。病気を待つだけの医療を変えたくて病院を出て、ビジネスで「未病」や「健康」という社会課題に向き合っているのですが、そもそも健康保険組合の人たちも、生活者一人ひとりも、なかなかこの課題の優先順位が上がらないんですよね。だから、予防的な行動ほど後回しになってしまって、結局病気になってから始まる医療の参加者になってしまう。もちろん制度や体制的な難しさもある。でも、僕らは医学とデータ、コミュニケーションを活用するこのやり方に確信を持っているし、実際に共感・実行してくれる人々は確実によい方向に導けています。この手応えを着実に大きくしていくため、誰と、何を、どこまでやり切るかを日々動きながら考え続けています。

── 医師時代の働き方も相当ハードだったと思いますが、壮大な社会課題と向き合っている現在もハードな日常のようにも感じます。 そうですね。実は、そのハードワークの埋め合わせをするように、お酒を飲んでみたり、運動をしてみたりといろいろやってみました。でも最近は歳のせいもあってお酒は飲めなくなってきたのと、体重が増えやすくなったので食事に気を遣う必要もあって余計ハードになりました。それでも、OCA TOKYOの6階のブックバーで軽く飲む時間が楽しみのひとつです。自社オフィスが近くて、窓際の席から遠目に見えるんです。遅くまで電気が点いていることもありますから、仲間の健康を気にかけることもしばしば。僕自身も四六時中、仕事のことばかりを考えがちなので、ちょっと違った角度から自社を眺めて心を落ち着かせたりしています。

死なないなら、挑戦したほうがいい。

── OCA TOKYOのどんなところに惹かれてメンバーになられたのですか? 初めてご紹介いただいたときは、少し不安でした。そもそもプライベートクラブを利用したことがなく、どんな場所なのか、どんな人が利用しているのか、まるで想像できなかったので。でも実際に来てみると上品で落ち着きがある雰囲気がとても気に入りメンバーになりました。

── オフィスが近いこともあって、よく利用されているのですか? 多いときは週に2、3回は来ます。1人でふらっと立ち寄ったり、誰かとランチをしたり、快適に使わせてもらっていますね。あとはイベントにもよく顔を出しています。メンバー同士の交流会や、なかなか興味深いテーマのイベントを開催しているので、そういったビジネスとは関係のないシーンで、メンバーの皆さんとお会いして仲良くなれたら嬉しいです。

── 最後に、山本さんが人生を謳歌するために大切にしていることを教えてください。 「死なないなら、挑戦したほうがいい」という究極のポジティブシンキングです。ずっと死と隣り合わせの医療現場にいたことで身につけられました。だからこそ、リスクだらけの起業を選択できましたし、課題山積の現状を前向きに捉えられているのだと思います。加えて意識しているのが、気持ちにゆとりを持つこと。成長を楽しむこと。そして自分の些細な感情、感覚を大事にすることです。特に3つ目は僕自身の経験が色濃く出ています。ずっと気になるようなことがあれば、それを放置するのはよくありません。病気と同じで、初期段階できちんと対処しないと。違和感を抱いたままだと、気持ちのゆとりを持てなかったり、成長を楽しめなかったり、いいことはないですからね。これからも死なない程度に頑張って、医療の未来を広げるためのチャレンジをしていきたいです。

山本 雄士

株式会社ミナケア 代表取締役・医師

東京大学医学部を卒業後、同付属病院、都立病院などで循環器内科、救急医療などに従事。Harvard Business Schoolを修了した後、2011年に株式会社ミナケアを創業。「投資型医療」を核とした真の医療改革を実現するため、企業に向けた各種ヘルスケアサービスをはじめ、政策提言や講演など国内外で幅広く活動している。

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